被災68年2022年3・1ビキニデー集会(3月1日)①開始前スライド他

被災68年2022年3・1ビキニデー集会
 3月1日(火)13:00~15:30 ZOOM参加

昨日(2月28日)に引き続き、ビキニデー集会に参加しました。
プログラム
《第1部》13:00~13:50
◇動画「禁止条約をちかからに、核兵器のない世界へ」
◇オープニング うたごえ
◇主催者挨拶 石原 洋輔(静岡県原水爆被害者の会 会長/静岡県実行委員会)
来賓挨拶 
 アレクサンダー・クメント(オーストリア外務省軍縮・軍備管理・不拡散局長)
 中野 弘道(焼津市長)
 濱住 治郎(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長
◇メッセージ紹介 広島、長崎市長(代読)
主催者報告 千坂 純(原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表)

《第2部》13:50~15:30
◇文化企画 ラテンジャズピアノ(小島太郎)&フルート(茅野里佳子)の演奏
証言(パネル討論)「広島、長崎、ビキニの被災と現在、被災者の救済」
 <第1部>パネリスト
  野口 邦和(原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表)
  竹森 雅泰(「黒い雨」訴訟弁護団事務局長/弁護士)
  山本 誠一(長崎被ばく地域拡大協議会事務局長/被爆体験者)
  イ・ジュヨン(韓国・平和と統一を拓く人々=SPARK/ 原爆投下を裁く市民法廷研究チーム)
 <第2部>パネリスト
  橋元 洋一(太平洋被災支援センター副代表)
  下本 節子(ビキニ労災訴訟原告団長 高知)
  イヴァナ・ニコリック・ヒューズ(コロンビア大学上級講師)
◇「ビキニ被災68年2022年3・1ビキニデー集会アピール」の採択
  
心配性の私は早めに入室するのですが、開催前にもビキニデーの経緯のスライドが流れました。
開始前のスライド
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1954年3月1日マーシャル諸島、
米国はこの年の3月から5月まで、ビキニとエニウェトクの二つの環礁で6回の水爆実験を行いました。
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中でも3月1日の「ブラボー」と名づけられた水爆実験は、最大のものでした。
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広島原爆の千倍の威力の爆発は、青い海を赤く染め、
見えない放射能は砕かれた白いサンゴの粉とともに
「死の灰」となって、マーシャル諸島の島々に、
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さらにビキニから160キロも離れた海域にいた第五福竜丸をはじめ、
多くの日本のマグロ漁船に降り注ぎました。
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第五福竜丸の23名の乗組員は全員が急性放射能症に襲われ、
帰港とともに入院と闘病を余儀なくされました。
一連の核実験のために、太平洋は放射能で汚染、捕獲したマグロから放射能が検出されたため、
投棄を強いられた日本漁船の数は、その年の暮れまでにのべ一千数百隻に。
この事件は、第五福竜丸の帰港とともに報道され、深刻な被害はまたたくまに全国に知られました。
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被害を聞き知った科学者たちは調査に駆けつけ、台所を預かる主婦や各地の運動の高まりの中で、
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8月8日には「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成、
署名運動は思想信条の違いを超えてあらゆる立場の人々をむすぶ全国民の運動へと発展しました。
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その最中、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんの容体が急激に悪化したことが発表。
第五福竜丸乗組員にお見舞いや励ましの手紙が寄せられました。
しかし、9月23日久保山さんは亡くなります。
原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残して。
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「きょうになって とつぜんしんだので ぼくはかなしくおもいました。
ぼくのおとうさんが死んだら ぼくはどんなに泣くんでしょうと思いました。
水そばくだんや げんしばくだん は わるいバクダンです。」
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「やすこちゃん おとうさんが なくなぁて(亡くなって)かなしいでしょうね。
でもきをおとさないでね。
げんきで さようなら」
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「久保山さんの死をむだにするな」という声は大きな本流になって運動を後押しし、
署名の数は12月には2000万を突破。
全国の反核平和運動の誕生の原動力ともなりました。
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翌年1955年の8月6日から8日まで広島で第1回原水爆禁止世界大会を開催。
署名3158万3123筆を報告。
大会は、被ばく者支援(連帯)運動を「原水爆禁止運動の基礎」と位置づけ、
原水爆が禁止され、貯蔵が廃棄され、軍備が縮小され、
真の平和が来るまで世界の人びととたたかうことを決意。
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ビキニの被災に始まるこの運動は、国民の中に原水爆に反対する強い意志を創り
核兵器の平和をめぐるその後の日本と世界の動きにも大きな影響を与えました。
日本では1954年「アメリカの核実験に協力する」態度をとっていた。
吉田茂内閣を退陣させ、新たに生まれた鳩山内閣は「原水爆禁止運動への協力」を約束。
国際的には1955年7月、アメリカの物理学者アインシュタイン博士と、
イギリスの哲学者バートランド・ラッセル卿が核兵器使用の危機を警告し、
国際紛争の平和解決をもとめる有名な「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表、
世界的な反核運動を生み出す力に。
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この国民の闘いによって、1955年9月19日、原水爆禁止日本評議会が創立。
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それ以後、日本原水協は核戦争阻止、核兵器の全面禁止・廃絶、被爆者擁護の三つを基本目標に、
全国で活動しつづけています。
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1956年には、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成。
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戦後、12年にわたって放置され続けた被爆者への最初の援護措置=原爆医療法も
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この運動の中で、被爆者の行動で、勝ち取られたものです。
1958年には第4回原水爆禁止世界大会の準備の中で、原水爆禁止国民平和大行進も生まれました。
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1960年代、アメリカはベトナム戦略戦争を拡大、核兵器が使われる危機が高まり、
原水爆禁止運動は、「ベトナムを第二の広島第二の長崎にするな」をスローガンに、
ベトナム人民支援を呼びかけ活動。
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この時期、米ソ間には、キューバ危機など、一瞬即発の危機に続いて、
自国の核実験は地下で続けながら後続には協調して核開発の道を閉ざす
「部分的核実験禁止条約」の締結(1963年)など、複雑な動きも起こりましたが、
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他方では、運動の自主性を守り、ベトナム人民支援の国際的な共同行動の
発展をめざす粘り強い努力が続きました。
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1982年6月、米ニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会(SSD2)。
世界中から集まった100万の人びとは、
「なくせ核兵器」と書いた横断幕を掲げ行進。
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「ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えた鬼気迫るその姿は、
各国政府代表や平和運動家たちに深い感銘を与えたといいます。
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1985年2月、日本原水協と海外11か国の反核団体がよびかけた
「核兵器全面禁止・廃絶のためにーヒロシマ・ナガサキからのアピール」の署名は、
その年の世界大会までに1千万、
1988年の第3回国連軍縮特別総会(SSDー3)までに3000万を超え、
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世界の非政府組織(NGO)は、SSD3に対して
「核兵器廃絶を人類生存にかかわる第一義的課題とし審議」
するよう一致して勧告する原動力になりました。
それから15年にわたる署名運動は2000年5月のNPT再検討会議で
「核兵器廃絶」の「明確な約束」を勝ち取り、
10月には日本国民6000万人の意思として国連総会に報告。
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2001年。全国の被ばく者が、原爆症の認定を拒否し続ける政府に対して
訴訟に立ち上がりました。「原爆症」認定集団訴訟です。
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各地の法廷で国は敗訴を続け、国側の主張が成り立たないことが証明されていきましたが、
何年も続く裁判の中、何十人もの原告が判決を見ることなく亡くなりました。
2009年 原爆症の積極的認定と救済を求める圧倒的な司法判断を受けて、
国は、原爆症の積極的認定と救済の受け入れを余儀なくされ、
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被爆者代表との間で「確認書」が交わされました。
しかし、「確認書」にある大臣との定期協議はほとんど開かれず、
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原爆症の新しい審査基準も、被爆者の積極的救済とは程遠いものです。
被爆者のたたかいは今も「ノーモア・被爆者訴訟」として、続けられており、支援が求められています。
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NPT再検討会議にあわせ、被爆者とともに核兵器禁止条約の交渉を求める
世界的な共同行動とニューヨーク行動をよびかけた原水爆禁止運動は、
2005年5月第7回NPT会議に対して「いま、核兵器の廃絶を」の署名
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503万108人分を提出。
2010年には「核兵器のない世界を」691万2802人分を提出。
第8回NPT再検討会議は、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことに一致して合意。
核兵器禁止の流れを励ましました。
2015年「核兵器全面禁止のアピール」署名633万余を第9回NPT議長に提出。
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2016年4月「ヒロシマ・ナガサキの被ばく者が訴える核兵器廃絶国際署名」
2020年1261万2798人分を国連に提出。
2020年12月31日署名は1370万2345人分に。
「核兵器廃絶こそが安全保障」という国際社会の変化
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2017年核兵器禁止条約が国連で122の国連加盟国が賛成し、採択。
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そして、2021年1月22日、
念願の「核兵器禁止条約」が発効。
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人類史上初、国際法として核兵器を拘束
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日本を核兵器廃絶の先頭に!
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原水爆禁止運動は、世界の草の根の連帯した運動として、
政府・NGOの垣根を越えた新しい共同を広げ、
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被爆者とともに、核兵器のない世界をめざし、あらたな段階を迎えています。


《第一部》
動画「禁止条約をちからに、核兵器のない世界へ」

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自国領の持ち込みなどすべて禁止する国際法が人類史上初めて誕生しました。
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いま、多くの国が「核兵器に依存する安全保障」から
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核兵器のない世界による安全保障」へと変化しています。
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核兵器が使われることを否定しない核大国に対し、
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核戦争を引き起こす危険、偶発的にでも使われてしまったならば、
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人類にも地球にも壊滅的な影響が起きることを創造する多くの国が、
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この核兵器禁止条約に参加しています。
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現在、86ヶ国が署名、59ヶ国が批准

さらには、アメリカの「核の傘」を軸とする同盟国である
ドイツ、ノルウェーが
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この条約にオブザーバー参加することを決めたのです。
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そして、被爆国である日本こそ核兵器禁止条約に入るべきと、
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世界でも国内でも多くの人々が望んでいます。
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「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める」署名のスタートから1年、
現在、全国市区町村の3割以上、628自治体議会が、
日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める意見書決議をあげ、広がっています。
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しかし、日本政府はアメリカの核兵器による抑止力という幻想を信じ
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激化する米中対立にも深くかかわる態度で、軍事費を増やし続けています。
日本がやるべきことは、「核の傘」にしがみつくことではなく、
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核兵器禁止条約に加わり、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニを経験する被爆国として、
核兵器廃絶の先頭にたつことです。
禁止条約をちからに、核兵器のない世界へ!



オープニング うたごえ 
「折り鶴」「海に生きたあなたよ」
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静岡うたごえ協議会 会長 青野 一男
3・1ビキニデーにご参加のみなさん、「うたごえは平和の力」。
核兵器のない世界へ連帯を広げましょう!

「折り鶴」作詞・作曲/梅原司平
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生きていてよかった それを感じたくて
広島のまちから 私は歩いてきた
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苦しみをことばに 悲しみをいかりに
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きずついてからだで ここまで歩いてきた
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この耳をふさいでも 聞こえる声がある
この心閉ざしても あふれる愛がある
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はばたけ折り鶴 私からあなたへ
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はばたけ折り鶴 あなたから世界へ

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生きていてよかった それをみつけたくて
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長崎のまちから 私は歩いてきた
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この胸のいたみを うたごえにたくして
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焼けあとの下から ここまで歩いてきた
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この耳をふさいでも 聞こえる声がある
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この心閉ざしても あふれる愛がある
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はばたけ折り鶴 私からあなたへ
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はばたけ折り鶴 あなたから世界へ
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はばたけ折り鶴 私からあなたへ
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はばたけ折り鶴 あなたから世界へ

「海に生きたあなたよ」
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船の上に降り注ぐ 白い灰に命絶たれて
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どんなにか悔しかったでしょう
私にも冷たい風の つらい日々でした
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命の重みを刻んだ あなたの言葉海を越えて
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原爆の犠牲はもういらない
今日も誓い合います。


<感想>
ひとまとまりのスライドとして見ると、当時も現在と同じ危機的な状況であったのだと痛感しました。
それなのに、人々は勇敢に平和運動を闘い、当時の当時の首相を退陣させました。
危機的状況から逆に平和へと導く運動を作り出した、それは見習わなければならない、と強く思いました。

核兵器禁止条約への参加は71%の人が「参加するべきだ」と回答。
締約国会議へのオブザーバー参加は85%ものひとが参加するべきだという国民の意思を政府は尊重してほしいと思っています。
オブザーバー参加なら見ているだけなので、アメリカの困る発言をする心配はありません。
ぜひ、参加をと願っています。

折り鶴は私の好きな曲なので、一緒に口ずさんでいました。
構成がとても良いですね。





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