講演会「沖縄戦の真実と、基地と沖縄の今」

2020年9月3日

講師 新城正男 氏

<はじめに>
 私が生まれた当時、母は私を産んだことを周りから責められたそうです。
沖縄で生まれた私は、東京オリンピックの頃、名古屋へやってきました。
沖縄へ帰る予定でしたが、彼女を選び、ほぼ愛知県で過ごしました。(転勤等はありました)
沖縄の人は顔に特徴があるのか、デモに参加しているときに声をかけられ、運動に参加するようになりました。
現時点の争点は、安倍総理の辞任による新しい政権の構築です。
愛知の戦争展は中止になりましたが、インターネットではみられます。
是非、見てください。下記はリンクです。



1.島民の目線から見た戦の実態

沖縄戦とは>
アジア太平洋戦争末期の日米最大の戦闘。
住民を巻き込んだ唯一の地上戦で、悲惨な歴史のなかでも”醜さの極地”として特筆されるほどの激しい殺戮が繰り広げられた。
昭和45年3月26日~6月23日までの戦い。

約3カ月間の激戦。
6月23日は牛島満と参謀長が自決した日。
それは、軍の抵抗が終わった日でもあった。
沖縄では6月23日は公休日で、官公庁も休みとなっている。

<牛島満の残した言葉の影響>
ところが、本当に沖縄戦が終わったのは9月7日であった。
それはゲリラ戦が続いていたから。
なぜ、ゲリラ戦が続いていたかと言えば牛島満が自決の際に残した言葉による。
「最後の一兵まで戦え」
「捕虜になるな」
その言葉により、兵隊は捕虜になることができなくなった。

<米軍・沖縄守備軍の目的>
米軍の目的・・・日本攻撃の足場にする
日本軍の目的・・・本土への攻撃を遅らせるための足止め。「捨て石」
硫黄島の戦いでは全滅して、日本人は一人も残らなかった。
本来なら、降伏すべきであったが、何かアメリカに損害を与え、のちの交渉に役立てようとした。
もう一撃をアメリカに与える。

<長野県大本営>
長野県長野市松代に10kmもの穴を掘り、大本営を作った。
動員されたのは朝鮮人1万人。
硬い岩盤を掘らされた。
天皇、大本営、通信(現NHK)を移す予定だった。
檜のお風呂まであった。
沖縄の足止めはこれを完成させるためだった。

32軍はよくやったと称賛された。
牛島満「足止めが出来、私たちの任務は終わった」と自決。

<沖縄戦の教訓>
1.基地のあるところは、標的となる
2.軍の中心部は標的になる。
 首里城は跡形もなくなるほど攻撃された。
 なぜなら、地下に軍の基地があったため。

<南部への撤退>
日本軍はそこで、諦めれば良かった。
ところが、軍は南部に撤退してしまった。
南部はもはや、穴しかない場所だった。
疎開で逃げてきた一般人がガマに住んでいた。
そこへ兵士がやってきた。
赤ちゃんが泣くと、「声が外に漏れたら、米軍の標的になるから鎮めなさい」と軍は命じた。
しずめるとは、殺しなさいというのと同じ意味だった。
母親は、自分の手で赤ちゃんを絞め殺すしかなかった。
そういうことがあちこちでおきた。

<壕から出ようとした人の運命>
米軍は戦争は終わったとチラシを撒いた。
それをみて壕から出た人は「スパイ」とされ、後ろから撃ち殺された。

米軍 54万8千人
沖縄守備軍 軍人7万人+戦争をしたことのない人2万人
武器の装備のレベルが全く違った。
それなのに戦い続けたのは、持久戦が目的だったから。

<方言しか話せない人>
沖縄は天皇に対する気持ちが本土ほどではなかった。
なぜなら、明治以前は琉球王国だったから。
そのため、自分たちの先祖を敬った。
軍人たちは差別的な見方をした。
明治以降に日本語が沖縄の公用語となった。
そのため、高齢の人は沖縄の方言は話せても、日本語は流暢に話すことができなかった。
方言を話すことは禁止されたが、高齢の人は方言で話す人が多かった。
方言をしゃべっている人はスパイとみなされた。

<渡された2つの手榴弾>
32軍は中国から集められた。軍は米軍につかまったら、男性は戦車でひき殺され、女性はレイプされると教育した。
①手榴弾で米兵を攻撃
②自決用(自分と家族)
 家族で頭を寄せ合って自殺した。

<慰安婦所100カ所以上>
日本軍を抑える目的で政策として慰安婦が100カ所以上置かれた。
それは日本政府が任命した沖縄県知事が命令した。

<サンフランシスコ条約>
本来なら戦争が終結すれば、軍は撤退しなければならない。
ところが、両国が同意することで駐留は許される。
サンフランシスコ条約では第3条で沖縄と奄美大島はアメリカが統治権を持つことが記載された。
アメリカの国務省と軍部で沖縄を返すかどうか意見が分かれていた。
ところが、朝鮮戦争が勃発し、沖縄を「太平洋の要石」という位置づけがなされ、
「反共の防波堤」という方針がとられた。

冷戦は終わったがその構造は現在も変わっていない。
相手が中国になっただけ。

馬毛島がタッチアンドゴーの訓練所となっています。

<日本全国が太平洋の要石に!>
現在、沖縄だけでなく、日本国全体が太平洋の要石へというように変わってきています。

沖縄の人は復帰を勝利したとは思っていない。
記念碑は、「これからの戦いが大事」と書かれています。
 碑文全文のリンク 祖国復帰闘争碑碑文

<新しい戦い>
1995年3人の米兵に12歳の少女が代わる代わるレイプされるという事件が起こりました。
この事件により沖縄には新しい戦いが始まりました。
元々、沖縄の人々の心に深く刻まれた事件がありました。
1955年の「由美子ちゃん事件」です。
6歳の幼児が乱暴され、バラバラに刻まれ、海岸のゴミ捨て場に捨てられた事件です。
当時、私は10歳でしたが、聞き耳を立てていると大人に叱られたものでした。



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